イタダキ委員会
1年半ほど前でしょうか。
(最近こんな書き出しが多くなっているような気がします。会長としては未来よりも圧倒的に過去が多い現状を表しているようです。)
そう、1年半ほど前。
私は次年度会長として、役員人事を考えていました。
ある関係から役員のほとんどはそのままスライドする予定でした。
そんな中、やはり気になるのは運営専務です。
ただ、実は前もって決めておりました。
それが越智運営専務でした。
いつどうやってお願いしたのかちょっと記憶が曖昧です。
ただ、これだけは覚えておりまして、
受けますといったあと、
「副運営専務はいなくて大丈夫です。」
と彼は言いました。
近年では副運営専務等の言い方で運営専務のサポートをする立場の人がいることが多く、ご多分に漏れず私も、だれか副運営専務をつけようかな、って思っておりました。
力強い彼の言葉に甘え、結局運営専務は1人体制とさせていただきました。
YEG経験も長く、しっかり者の彼は、まったく問題なく1人で1年間運営専務を全うしてくれました。
そしてそれ以上に、私をまるっきり信用して頂きました。
・・・・・・お ち くん あ なたの こ ころに ちょ くせつ は なしかけて い ます あって ま すか・・・・
あってました。
(5日ぶり2回目の登用すいません。)
この安心感は何物にも代えがたいものでした。
越智くん、本当にありがとうございました。
で、ですね。
その越智くんは次年度委員長となります。
その委員会に私は直前会長の応援三役として所属させていただきます。
このペアを一緒にしていただいたのは、越智くんに恩返ししろ、という次年度会長の思惑でしょうか。
・・・・じ ね んどか
もういいですか。
そうですか。
その委員会はイタダキ委員会です。
昨日委員会が開催されましたので参加させてイタダキました。
はじめの一歩読者のワタクシ的には
板垣の口癖、イタガキます、を彷彿とさせるステキな委員会名です。
4月例会アワーを担当しているので、大詰めです。
その日は会長の方針演説などをして、1年のスタートを切る重要な例会アワーです。担当委員会としてしっかりと準備をしている姿を見ると、今年度担当して頂いたシン・委員会の皆さんもこうやって準備をしていただいたんだろうな、と改めて感謝の気持ちがわいてきます。
一発目の例会アワー、イタダキ委員会の皆さま、がんばっていきましょう。
その日
その日
1年前の今頃、本当にその日がやってくるのか疑心暗鬼になっていたような記憶がある。しかしいつの頃からか、もう残り少なくなったその日に向けて準備をしている自分がいることに気づく。
会長任期は3月31日
しかし、31日にテレビ画面が切り替わるようにデジタルに切り替わるわけではない。そして、31日までの任期を最後まで全力で走り抜ける、と考えはするが現実はそうではない。
私の準備は12月から始まった。
四国ブロック大会西条大会の終了。
次は2月
40周年記念事業の終了。
今月は7日に定例会の終了。
そして先日は三役会の終了。
一つ一つ事業を完結するたびに終りに向け少しほっとしている自分がいる。そして終わったことを通達する別の自分もいる。肩の荷が下りるのではなく、荷物はそのままで、まるで終りと書かれたステッカーを肩に貼り付けられる。そんな感じだ。
たぶん、その日は普通のなんでもない日の様に過ごしているだろう。
それまでに儀式、ではないが、その日に向けてしっかりと終わらせる作業をしてきた。・・・つもりだ。
その日に全部の終わりが一度に来るわけではない。それまでに細切れに、そして不意に、ではなく計画的にやってくる。
そう、そのほとんどはもう通り過ぎた。
その日が、あの日になる時が今は少し待ち遠しい。
三役会
初めて三役になったのは、7年前安藤会長だった時の運営専務。
当時の写真です。皆さん若いですね。
あれ、懐かしい人が写ってますね。
さて、
当時は、委員長から運営専務になったので三役会に参加すること自体が初めてでした。緊張したとは思いますが7年前なので記憶も曖昧です。わけのわからないまま目の前のことをこなしてた、そんな1年だったような気がします。
そして当時も三役会は調整機関であることを教えて頂いていました。
それは今も変わりません。
ただ、調整、という言葉のとらえ方は年度ごとに微妙に違うと認識しております。
今年度、三役は私を含め14名。余吾事務局を加えた15名で三役会を形成しております。昨日で最後の三役会が終了しました。
5年前、私は初めて副会長をさせていただきました。
稲見会長の時です。
当時は愛媛県大会西条大会の年で、今年度と同じように副会長が部会長として活動していました。私は総務部会長でした。
担当委員会は4月例会アワーや4月の商工フェアなども担っており、それに加え、県大会での担当のお土産等3月4月ごろに大変多くの役割がありました。
はじめての副会長というのも手伝って、正直テンパっておりました。
その時に初めて委員長をされた担当委員会の委員長には時に冷たくあたってしまった記憶があります。申し訳ございませんでした。
その時から、今まで、その方とは一度も話すことはなく5年が過ぎました。
・・・・
すいません。それは嘘です。
いまは仲直りして頂いていると勝手に思っております。
話がそれました。
今年度もその時と同じ状況であり、いや、規模感が全然大きいので当時よりもずっと大変な状況であると容易に予想できます。
そんな中ではありますが、部会長を兼務された各副会長におかれましては、5年前の私の様にテンパることもなく、しっかりと務めていただきました。すごいです。
私は100%テンパって、また誰か担当委員長に冷たくあたっていたに違いありません。
本当に尊敬します。ありがとうございました。
そんな副会長を含め、三役の皆様には大変お世話になりました。
三役会は調整機関という言葉に甘え、いろいろと相談させていただきました。
本来であれば、私がバシっと決めるところを、この優柔不断な性格も邪魔をして皆様に責任をちょっとづつ転嫁していたような気もします。
そんなことも含めすべて受け入れていただきました。
本当にありがとうございました。
これからも、豊富なこの経験と知識を存分に生かしてYEG活動や仕事に頑張ってください。
出向その2
1年と4か月ほど前。
私は次年度会長として大分市で開催される全国会長研修会に向かいました。懐かしさすら覚える、遠い遠い記憶の様に感じます。
夕方少し時間があった私は、当年度会長として一緒に来ていた白石会長のホテルの部屋にいました。
次年度日本YEG出向をどうするか打ち合わせをしていました。
日本YEGへの出向はチャンスも大きい分負担も大きいものになります。そう簡単に判断することなど絶対にできません。
実はそれ以前に稲見ブロ代予定者に次年度日本出向者について相談させていただいておりました。ブロ代予定者の考えをお聞きし、次年度はブロ代ともう1人、日本に出向して頂こうと考えておりました。
そして、真っ先に声をかけたのが白石くんでした。
ただ、声をかけた年度は会長年度。ただでさえ大変なのにその上に次年度日本出向。そう簡単なものではありません。
でも、大分から帰った数日後。
やります、と返事をいただきました。
それから総務委員会の委員として1年3か月の出向生活がはじまりました。
単会の役員会では出向者報告があって、どこに何日行ったのか知ることができます。しかし、それは日本全国で、その前後の移動日もカウントするとそこに費やした時間は大変なものだったでしょう。
単会としては、出向した総務委員会の方とのつながりを作って頂き、ブロック大会などにもたくさんご登録いただきました。総務委員会の皆様の白石くんに対する対応などを見るにつけ、ああしっかりと活動していただいているんだなあ、と感じておりました。
本当にお疲れ様でした。
2年連続で超多忙な年度となってしまいました。ありがとうございました。
次年度は単会監事として日本に出向した経験をまた教えてください。
そして、明らかに今年度一番忙しかった稲見ブロック代表理事。
日本YEGの執行部として全国を飛び回っておられました。
西条YEG40周年記念式典で、日本YEG吉川会長よりご挨拶いただいた時に言われておりました。
「稲見ブロ代は日本で暴れまくっております」
送りだしている単会として、大変名誉でありがたく、そしてうれしいお言葉でした。
そう言えば3年前の5月、吉野川で開催された四国ブロック役員会にオブザーバー参加した時に手がぶれる程面白い画像を見せて私を笑わせました。
そのころからもうすでに四国ブロックYEGのメンバーの為にご尽力いただいてきました。
足掛け3年とは簡単に言いますが、本当に3年間いろいろとありました。
今年度だけでも私の知らないこともめちゃくちゃあったと思います。というか、知らないことがほとんどだと思います。超大変なことも。
でも、彼は決してそんな姿を西条YEGメンバーには見せませんでした。我々には楽しく、面白く、日本YEGでの出来事を話します。
四国ブロック大会の成功も、ブロ代が「やる」と決めていたから我々もそれに応えようと考えることができました。
まず「やる」と決めて考える。
私が今年度会長として学んだことの1つです。
稲見ブロ代本当にお疲れ様でした。
こんなありきたりな言葉ですが、感謝しております。
ありがとうございました。
出向その1
大和田の悪事を暴いて土下座させた半沢は、中野渡頭取から栄転ではなくセントラル証券への出向を命じられます。
半沢の苦虫をかみ砕くその表情から出向に対するイメージの悪さが伝わります。
企業的には出向ってこんなイメージなのでしょうか。
ことYEGに関して言えばもちろんそんなイメージではありません。YEGで言う出向は、日本、四国ブロック、愛媛県への出向を指し、大変名誉なことであります。
そこで得られる経験や交流は、単会活動にはない広がりがあります。いくつものチャンスも転がっています。少なくとも、出向したエリアでのつながりは確実に大きくなります。ただ、その分時間やお金がかかることも事実であります。
今年度愛媛県商工会議所青年部連合会には、未来委員会に石川副会長と中路副委員長が出向されていました。
偶然にも次年度は会長と運営専務となります。
次年度に向けての顔もだいぶ広がったのではないでしょうか。委員会は県連理事会と一緒の日なのでみんなで行けて楽しかったです。
そして、県大会や12月の理事会には講演会を企画し運営されました。
大変お疲れ様でした。
そして、四国ブロック商工会議所青年部連合会では、たくさん出向されていました。
もちろん会長の稲見ブロ代、そして花山運営専務
花山運営専務は稲見ブロ代の同級生であり、5年前の愛媛県大会の時の稲見単会会長と花山県大会実行委員長という間柄です。
5回にわたる役員会だけではなく、YO!ちょっと書きづらいYO!とてもつらい、・・・いや、韻を踏むためにつらいと書きましたが、本人は楽しんでその大変さを味わっていたようにも感じました。
運営専務って、大変さの割にとてもとても目立たないポジションだと思います。でも、この運営専務なくして稲見ブロ代の成功はゼッタイになかったと言い切れます。稲見ブロ代が精一杯暴れられるように、道の前の障害物を気付かれない様にかたずけている、そんな雰囲気でした。
彼は会長も経験されていますので、いろいろとわかることがあるのだと思いました。
本当にお疲れ様でした。
そして安藤さんも相談役として。
安定の安藤さんです。
単会でも私が相談役をお願いしました。稲見ブロ代が四ブロ相談役をお願いする理由がよくわかります。
大変お疲れ様でした。
そして四国ブロックの郷創委員会には、加藤さんと友澤くん。
加藤さんは昨年度に引き続き2年目です。卒業年度でしたが、友澤くんに加藤魂を受け継いでいただくべく出向していただきました。
そういえば友澤くんもゴルフ始めたの今年度でしたね。こういった他単会との交流が行動を促したのかもしれません。
え、ちがう?
いずれにしましても、今年度は西条大会の関係もあり、四国ブロック出向者はお忙しかったと思います。
大変お疲れ様でした。
そして、日本商工会議所青年部には2名出向されました。
稲見四国ブロック代表理事と、白石くんです。
現在1200文字か・・・。
続きは明日にします。
Free Y-Fi委員会
「情報の発信委員会」という、仮の委員会名とはいえ、そのままじゃないかという突っ込みさえ聞こえてきそうな委員会名で始まったのは。
Free Y-Fi委員会
昨日最後の委員会だったので参加させていただきました。
昨年度に引き続き友澤委員長、三島副委員長、弓山副委員長の体制です。
スローガンは「1歩先の準備をする」
何気なく聞こえますが、よく考えるとなんか新しいです。
1歩先の準備。
段取り八分、的な感じで聞こえますが、少し違います。
それよりも少し踏み込んだ感じですね。
・・・・・・と も ざわくん あなたのこころにちょくせつきいています・・・あっていますか・・・・。
あってました。
結果的に今年度唯一のWEB開催となった5月定例会。
担当委員会の皆さんだけ集まって頂いて運営していただきました。そういえば、会長挨拶は逆に緊張した記憶があります。
大変難しい運営となりましたが、OB連絡協議会の2名とメンバー1名より、その業界ならではのお得情報を発信して頂きました。業界の裏側を見た気がして面白かったです。
そして、その第2段として開催した11月例会アワー
今度は現地で開催できました。
そのほか、年3回の広報誌や、HP・FBなどを担当して頂きました。
振り返ると、その事業すべてが冒頭に書いた「情報の発信」という私のそのままの委員会名に沿って活動して頂きました。
友澤委員長は些細なことも私に直接ではなく、越智運営専務経由でご連絡いただいてました。その心遣いに丁寧さと正直さを感じていました。
次年度は副会長。
2年間の委員長活動で得た経験は、必ず次年度自分の行動に反映されます。
日本人の奥ゆかしさが端々に感じられますが、自信をもって前に出るだけの経験は積んでいると思います。大丈夫です。楽しんで副会長をやってください。
そして、Free Y-Fi委員会の皆様
今年度の私のスローガン「げんせんに行こう」の中の1つ「情報の源泉」に沿った活動をしていただきましてありがとうございます。
おかげさまで、対内外に情報の発信をすることができました。
さらに、四国ブロック大会では広報部会ということで、広報活動のみならず、WEB返礼品やお土産も担当されました。
大会が終わっても、委員会メンバーで集まって返礼品の箱詰めをしていたのを知っています。西条大会のWEB返礼品の完成度はとても高かったと感じています。
この経験は次年度ゼッタイに皆さんの心のどこかに作用します。
期待しています。
本当にありがとうございました。
治外法権
キーンコーンカーンコーン治外法権のお時間です。
現在は令和3年度ではありますが、昨日の19時30分から21時までは令和4年度でした。そうです次年度役員会でございました。
あと2週間後。
次年度、と言う言葉からは想像できないほどに近い未来です。
始まれば終わる。
その如何ともしがたいスパイラルからは誰も抜けることはできません。
昨年度も、今年度も、次年度も、次次年度も・・・。
そうやって連綿と歴史は続いていくのでしょう。
さて、1年前会長年度が始める前に練習もかねていくつかのブログを書いていました。もちろんFBで公開はしておりませんが。
その中の1つに答えなければならないブログがあります。
簡単に言えば1年後の自分は会長と呼ばれるに足る成長をしているのかどうか、ということを書いたブログでした。
まずブログの文章はおんなじ感じでしょうか。
少しは柔らかくなってるでしょうか。
そう言うことではありません。
1年前のブログを見返して感想を書くように1年前の自分に言われております。
感想か~。
目に見える成長はブログくらいなもので、大人になってから成長と呼ばれるものの大多数は目に見えないもので、しかも曖昧です。
体重は明確に増えましたが・・・。
多くの時間を使って得たものは、何かのアビリティではなく、心の中の何かで、その何かはこれからの人生にキット大きな影響を及ぼすんだと思ってます。
このあたりは会長職でなくとも役員でなくとも全員一緒だと思います。
異例尽くしの今年度でしたが、この経験は次年度以降のYEG活動や仕事に必ず反映されます。心の中の何かがはっきりと、でも曖昧に自分の中で作用するんだと思います。
昨日の次年度役員の顔を見ながらそんなことを感じていました。
次年度楽しみです。
YEG活動をより楽しめそうな気がします。
ただただ気が抜けているだけなのでは、というご指摘は・・・・ないこともない。