いつかの元会長ブログ

仕事は屋根工事等をしております。

言葉

言葉は言葉を呼んでこの会場を飛び回っています。

 

言葉量という日本語があれば三島由紀夫のそれは大変なものだったと思います。

 

52年前、東大駒場キャンパス900番教室に集まった1000人の東大全共闘の前に三島由紀夫は立ってました。

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その年の1月に発生した東大安田講堂事件。東大本郷キャンパス安田講堂を占拠した学生に対し大学の要請を受けた機動隊が出動し、激しく衝突しました。結果、封鎖解除され陥落してしまうのですが、その熱をさましてはならないと、東大全共闘駒場共闘焚祭委員会が発足されます。

そして、古い知性を粉砕し、新しい知の世界を切り開く討論会が企画され、当時スーパースターで全共闘とは逆の右派であった三島由紀夫に白羽の矢が刺さったというわけです。

 

右派左派、その辺りのことはちょっと置いておいて、討論会の中で冒頭の一文を発言しました。言葉の有効性を信じこの場に来た、とも言ってました。

どんな質問にも淀みなく自分の主張を展開します。今で言うボキャブラリーが超豊富なのです。でも、淀みないその裏には、おそらくすこぶる強いアイデンティティが存在していると、私は感じます。

 

悲しい結末もその強いアイデンティティが影響したのでしょうか。

 

そんなドキュメンタリーを見ました。