ガラス越しの生徒
午後6時15分
うす暗くなった外に反発するように会社の電灯が明るく感じます。玄関のガラス越しに、高校生でしょうか塾に入っていく生徒が確認できます。距離があるのでその顔が希望に満ちているかどうかは私にはわかりません。自分の未来に、可能性にワクワクしてくれていればうれしいです。
私が子供の時から目の前の塾はありました。高校3年の夏、夏期講習のみ通塾した記憶があります。当時の私は部活動も引退し、大学進学のために勉強中心の生活をおくっていました。高校3年生という、いわゆる青春を謳歌している感じではありませんでしたが、大学に進学することに対して、なんとも漠然とした期待と不安を併せ持った甘酸っぱい(恋ではありませんが)感覚を持っていたのを思い出します。
先程の生徒も同じでしょうか。
結局大学に進学し、大学生活を過ごし就職しました。そして、転職し今の職業についているわけです。
よくネタ的に、いや~無駄な学歴でしたよ。とお話することがあります。もちろん無駄なものなどなく、私にとって大学生活は大変価値のあるものでした。私を形作るもののなかに確かに存在しています。
今現在私の子供も大学生になっています。コロナ禍でWEB中心の授業になっていたり、友達同士の飲み会なんかもないんでしょう。その授業で身につく知識は将来使うことはないかもしれません。いや知識も身につかないかもしれません。お金の無駄使いだと子供ながらに思うかもしれません。でも今までの経験や知識やもろもろであなたが出来上がるのだとすると、もちろん無駄ではありません。
外にいた生徒も、もしかして、大学にいっても、まったく違う道に進むかもしれません。その時に無駄な時間を過ごしたとは思ってもらいたくはありません。違う道に行ったとしても、その時の経験はあなたを確かに形作るものとして存在するので。
もちろん大学だけではありません。YEGも同じだと思います。